- YOASOBIのテンポユニーク 前を向けるストーリーや音色際立つ 伏し目がちな身起こさせ埋もれへばらぬ
- よあそびのてんぽゆにーく まえをむけるすとーりーやねいろきわだつ ふしめがちなみおこさせうもれへばらぬ
YOASOBIの楽曲のテンポは他に類を見ない。前を向ける物語や音色が際立つ。彼らの希望ある音楽は、閉塞的な現代社会にあって伏し目がちになる身を起こさせ、聴いていれば現状に埋もれてへばることはない。
人気音楽ユニット、YOASOBIです。
YOASOBIの音楽に抱く個人的な感想を述べつつ、それにもとづいて作成された作品の内容をご説明していきます。
はじめに、YOASOBIについては『夜に駆ける』で一躍注目されたことからその存在を知っていたものの、昨今は音楽そのものに触れる機会が減っており、きちんと耳にすることはありませんでした。聴くきっかけになったのは『群青』です。
さて、YOASOBIが提供するようなタイプの楽曲を、少なくとも私はそれまでに聴いた覚えがありません。音楽についてはずぶの素人だけれど、「テンポ」がとても独特だと感じられる。ポップミュージックというより軽やかなピアノ曲を聴いているような。だから「ユニーク」と併せて採り入れたいと考えました(後述の語法のところもご覧ください)。この2つの語は、YOASOBIで作ろうと考えたときに――余りやすい「ほ」と「ゆ」を含むこともあって――最初から設定していたキーワードです。
曲を聴くうち、1曲ごとにくっきりした物語が描かれているようだと気づきました。ネットで調べてみると、各曲はそれぞれ1つの小説を題材に作成されているらしく、そうだと知ればなるほど納得です。それにしても、1曲や2曲ならまだしも全てがそのように作られているだなんて、ほかでは聞かない手法ではないでしょうか。とにもかくにも「物語」か「ストーリー」を入れたいと考え、組み合わせの結果後者が選択されることになりました。
ところで、最近の曲はめったに聴かない私がYOASOBIの音楽に惹かれる最大の理由は、原作の物語およびそれと軌を一にして織りなされた楽曲に通底する前向きさにあるのかもしれません。
それでなくとも現実は悲しみや苦しみ、辛みや悩みに満ちており、せめてフィクショナルな物語を紡ぐなら、過程でどれだけイヤなことがあろうと最後は笑顔で終われる、そうあって欲しい。とりわけ現代の日本社会が先行き不安な閉塞状況にあることはみなが肌で感じているはずですし。このような思いを抱く私ですから、たとえば映画もハッピーエンドでないと胃の辺りがムカつき、どう解釈しても救いのない作品――『セブン』のような――を観ると数日間やりきれない気持ちになります。
私の好みは措いても、YOASOBIの音楽が広く受け容れられるのは、曲自体の斬新さと素晴らしさに加え、その世界観が――物語の結末は必ずしも幸福といえない場合でも――つねに明るさや希望を感じさせる内容であることも一因になっているのではないでしょうか。
2句目の「前を向ける」という形容も彼らの楽曲に元気づけられる様子を表した3句目も、そういうことです。
作成について。
こんなに苦しんだのはいつ以来だろう、と感じるほどの大苦戦でした。感覚的には「Mrs. GREEN APPLE」のときに近いような。
最後の3句目が最大の難関で、ここだけでかなりの時間を費やしました。いくつかの語句を拾い出してもそれまでの流れと整合的な文意を形成できません。かなもかぶったり余ったりしてしまう。ウンウン唸りながら何度も試行錯誤を重ねるなか、「ふしめがち」を見出したことでようやくゴールへの道筋が見えました。
ものすごく疲れたけれど、紆余曲折のすえに自分が感じるYOASOBI像をほぼ表現することができ、思い入れの深い一作になりそうです。
語法について。
カタカナ語の「ユニーク」には、「あいつはユニークな奴だ」のように「ちょっと変わった」という少しばかりマイナスのニュアンスも含んだ場合がままあるけれど、ここでは訳に示した通り「他に類のない」とか「唯一の」といった「unique」の正統な意味です。
この作品は1句目でYOASOBIの音楽に対する個人的な印象を述べ、2句目で楽曲について具体的に記し、締めの3句目ではそれに支えられる様を描くという構成になっています。その内容的な区切りが『プロポーズ』と同じようにいずれもウ段で終わりました。もちろん今回も偶然だけれど、そんな偶然をもたらしてくれるかなパズル、ひいては日本語って本当に底が知れません。
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