山聳え

  • 山聳え 尾の上に雲寝 風吹き下ろし 騒げる鳥居て 梢倦み 葉露垂れぬよ 目路なむ本意あらん
  • やまそびえ をのへにくもね かぜふきおろし さわげるとりゐて こずゑうみ はつゆたれぬよ めぢなむほいあらん
  • 山がそびえ、頂きにはそれを枕に寝ているように雲がかかっており、風が吹き下ろしてくる。――その風に合わせて下のほうに目を転じると――楽しそうに騒ぐ鳥がとまっているのを梢がいやがり葉露(涙)が垂れてしまったことだよ。目に入る眺望は期待通りというものだろう。

とある自然の情景を描きました。

ある日の朝、犬の散歩中に「山聳え、尾の上、川、雲居、風吹き」といった語が浮かび、帰宅後にとり組んで2時間ほどで完成。
全体に悪くないと思います。

語法について。
「尾の上に雲寝」は「尾の上」すなわち山の頂きにかかっている雲を、頂きを枕に寝ているとした比喩です。
「風吹き下ろし」で視点を上から下へ。
「騒げる鳥居て」の「騒げる」を品詞分解すると、ガ行四段動詞「騒ぐ」の已然形「騒げ」+ 完了の助動詞「り」の連体形「る」で、意味は「騒いでいる」。もしこれが口語ならば「騒げる」一語で可能動詞になり、「この部屋は防音になっているからいくらでも騒げる」のように「騒ぐことができる」意となります。ちょっと紛らわしいですよね。
「葉露垂れぬよ」は、梢にとまっている鳥が騒いで揺らすものだから葉露が垂れてしまう様子を、梢がイヤがって泣いているのだと比喩的に掛けています。訳と併せてご覧ください。

最後の句「目路なむ本意あらん」をまず品詞分解すると、名詞「目路」+ 強意の係助詞「なむ」+ 名詞「本意」+ ラ行変格動詞「あり」の未然形「あら」+ 推量の助動詞「ん(む)」の連体形「ん」。
「目路」は、余った文字でなにかないかと古語辞典を引いていて初めて知ったことばです。しかも現代の国語辞典にも「めじ」で載っている。「眺望」のことだったのか。1つ賢くなりました。
「本意」と「あり」はそれぞれ別の語ですが、連語「本意あり」になると「期待通りである」という意味をもち、訳のようになるわけです。
句末の「ん」が終止形でなく連体形になるのは、係助詞「なむ」がかかっているから。いわゆる「係り結びの法則」です。学校で習ったのを覚えていらっしゃるでしょうか。

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