- 平手友梨奈 食い違う 景色を見目指す 踊るもあぶれ ほの笑む切に ソロわぬ世へゴー ヤバたまんねー
- ひらてゆりな くいちがう けしきをみめざす おどるもあぶれ ほのえむせつに そろわぬよへごー やばたまんねー
平手友梨奈は周りの子たちと違う景色を見、目指している。それゆえ一緒に歌い踊るもみんなからあぶれてしまう。わずかしか見せない笑みは心からの精一杯なのだ。いざ彼女は――周囲と揃える必要のない――ソロの世界へ行く。今後どんな活躍を見せるんだろう。ヤバ、たまんねー。
平手友梨奈さんです。
作成について。
作ろうと思い立ったきっかけは、つい先日彼女についてのとあるネット記事を読んだことでした。
ときどき話題になる彼女の存在は認知していたけれど、そもそもお顔とお名前が一致する程度でほかのことはなにも知りません。でも、名前「ひらてゆりな」はかなが重複していないし、未知の分野に挑戦してみるのも面白そうだと考えたのです。
ネットでいくつかの記事を読んだり映像を観たりして、自分なりの平手友梨奈像がぼんやり浮かんだ状態でスタート。事前の準備はキーワードの名前だけです。
*
情報量が少なく、なによりふだん無縁の分野なので、大いに難渋しました。何回繰り返しても途中で行き詰まり、さきへ進みません。これでは埒が明かないといったんすべて白紙に戻し、気分転換をしてから改めてとり組むことに。再開後も四苦八苦しましたが、どうにかこうにか完成しました。
作品に言及するまえに平手友梨奈さんの略歴をかいつまんで記すと、2001年に生まれ、2015年にオーディションで合格してアイドルグループ・欅坂46の1期生となり、翌2016年発売の1stシングルからセンターを務めつづけます。しだいに抜きん出た存在感を放つようになり、グループも彼女を中心に回ることになります。2018年には『響-HIBIKI-』で映画初出演と同時に初主演し、翌年の第42回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞しました。今年2020年の1月23日に突如脱退を表明し、現在はソロで活動しています。なお、欅坂46は改名して再始動することが決まったそうです。
今回は行間を含めて補足説明を加えないと内容がつかみにくいと思うので、文意と語法を併せて見ていきます。
*
「食い違う 景色を見目指す」は訳のとおりで、彼女とそのほかのメンバー多数との間では目指すところが違う、そんなことを表現しています。
それがグループ結成時からなのか注目を一身に浴びるようになり出してからなのか、あるいはもっと別の理由があるからなのかは分からないけれど、同時進行的に「踊るもあぶれ」ることになりました。つまり、みんなと同じように歌ったり踊ったりしているのに彼女ばかりが目立つうち、だんだんとグループ内で浮いていく状況です。
*
つづいて「ほの笑む切に」について。
お読みになって、意味的に引っかかりを感じる方も多いと思います。「ほの笑む」=「わずかに笑む」と、「切に」=「ひたすら、心から」とは、ふつう結びつきにくいことば同士ですから。
この句で表現したかったのは、苦悶・葛藤する彼女の胸の内、とでもいうようなものになるでしょうか。
初期のころは楽しかったしよく笑っていた。でも時が経ち、自分がグループのなかで押しも押されぬ存在になるにつれ、メンバーとの距離も広がって孤立していく。グループの看板としてのしかかる重圧が並々ならぬうえに、そんなグループ内での不協和音が外部にも洩れ出している。このような状態にあって、欅坂46としての活動のなかで笑顔を見せることは、自分に対しても周りに対してもウソをついているように思えてイヤだ。微笑む程度――「ほの笑む」――に見えるかもしれないけれど、いまの自分にはそれが心からの精一杯――「切に」――なんだ、とそういうニュアンスです。
*
つぎは「揃わぬ世へゴー」です。
すべてひらがなにすると「そろわぬよへごー」になりますが、「そろ」は「揃(う)」と「ソロ」、「よ」は終助詞「よ」と「世」、というようにことばが掛けられていることをまずご承知ください。いわゆる掛詞ですね。
さて、実状は窺い知れませんが、グループ内での競争も熾烈であろうなかひとり絶対者として君臨していたとなれば、心穏やかでないメンバーとの軋轢が否が応でも生じるのは想像に難くありません。とにもかくにも、彼女はグループを脱退してソロの世界へ行く道を選びます。
そういう過程を表したのがこの句で、まずは「周りと自分とが合わない、揃わないよ」ということで「揃わぬよ」。そこから、ならば「周りと揃える必要のないソロの世界へ行こう」ということで、みんなとは「揃わぬ」――つまりはソロになる――「世へゴー」となります。
*
最後の句「ヤバたまんねー」は、ソロになった彼女が今後どう活躍するのか、その期待をファン目線で吐露している様子です。
以上、作品の詳細をご説明しました。
初見では分かりにくい内容になったものの、いちおう無理のない文意に落とし込めたのではないかと思っています。いかがでしょうか。
笑顔を見せないことやグループからの脱退について、表面的でありきたりな解釈だとか反対に的外れだとかお感じになっても、どうぞご寛恕ください。冒頭でも述べたようにふだんほとんど関心の向かない分野のことですし、それでなくとも芸能界というのは真実の見えにくい世界。数ある捉え方の1つと受けとっていただければと思います。また、あ~ん全てのかなを各1回かつもれなく使わねばならないかなパズルにあっては、表現-意味内容を整合的にまとめるだけでもなかなかに大変であることを併せてご理解いただければ幸いです。
終わりに、語法についてあと2つ。
まず、「ほの」は形容詞や動詞に付く接頭語で、「ちょっと、わずか」という意味を付与します。日常的には「ほのめかす」や「ほの暗い」が用いられるでしょうか。
*
2つ目、「ヤバたまんねー」の「ヤバ」は形容詞「ヤバい」の語幹部分「ヤバ」を発語するパターンです。「うま(い)」「あぶな(い)」「きつ(い)」など、若い方になら問題なく通じることばづかいでしょう。
ところで、まもなく古希を迎える母の語感では、説明を受けても「ヤバい」が理解できないそうです。いうまでもなくもともとは「やばい」で、意味は「危ない、よくない(状況にある)」。ところが、語としては同じでも――「やば」がカタカナ表記の場合が多い――「ヤバい」になると、料理を口にして「ヤバい」といい、絶景をまえに「ヤバい」といい、音楽を聴きながら「ヤバい」という。理解できないのも無理からぬ気がします。共通する訳語をあてろといわれたら「(よくも悪くも)とんでもない」といった感じなのでしょうが、こんな現状の日本語はやばい?それともヤバい?



コメント