パングラムと日本語

世界のさまざまな言語で行なわれていることば遊びのパングラムは、日本語にたいへん適していると考えられます。それはなぜなのか、わたしたちになじみ深い外国語である英語を引き合いに考察してみましょう。

英語とパングラム

英語のパングラムで用いるアルファベットの数は、a~z の26コです。
また、語――品詞――を構成する字数について、アルファベット1~3字の単語はさして多くありません。
ここから、英語のパングラムでは拾い出せる語数が絶対的に少ないことが分かります。いくつかのアルファベットが複数回使用されている「The quick brown fox jumps over the lazy dog.」を見ても、使われているのはたった9つ。10足らずの英単語では話題が限られ、内容も単純にならざるを得ないでしょう。

「The quick brown fox…」を例示したのはもっとも有名な作品だからですが、英語でも a~z の26字こっきりで作成する「完全パングラム」がないわけではありません。
では完全パングラムの作品はどうかといえば、「Zing, vext cwm fly jabs Kurd qoph.」や「Phlegms fyrd wuz qvint jackbox.」など、語数がますます減少しているばかりか、われわれの知る英語とはおよそかけ離れた様相を呈しています。非ネイティブには、英語と判断するのもややためらわれるのではないでしょうか。

このように、アルファベットを何字か重複しても1文をこさえるのが精一杯で、26字のみだと一般的なことばづかいで成り立たせることすらほぼ叶わないらしい。したがって、パングラムということば遊びにあって、英語はその特徴を発揮しづらい言語であると考えていいでしょう。

語だくさんな日本語

さて、日本語に目を転じると、あ~んのかなはアルファベットより20も多い46コあり、そのうえ1~3字からなる語がごまんと存在します。
つまり、日本語のパングラムでは語をたくさん作れるということです。たとえば「いろは歌」を品詞分解すると語数は28になり、その差は歴然でしょう(文語のいろは歌は全47字)。

むろん、語の数を競うことがこのことば遊びの目的であるはずはありません。
言語的に厳しい条件が与えられたなかで語を巧みに選出・整形・配置し、全体を通して瑕疵のない詩歌や文を織りなさねばならないがゆえ、パングラムは難解なのでした。
この肝心な点を踏まえ、日本語の語構造について見ていきます。

語、碁、五、弧、子

字数の少ない語がいっぱいあるということは、とりもなおさず同音異義語が豊富であるということです。たとえばキーボードに「あい」と打ち込めば、名詞の「愛」や「藍」、動詞の「合い」「会い」「遭い」と変換されるし、「I」や「eye」もカタカナ語として使えるでしょう(「I」は自作『アイラブミーな日』で使用しました)。「かき」なら名詞「柿、牡蛎、夏季、カーキ」、動詞「書き、掻き」などがあります。
そのままかなを並べ替えれば、さらに新たな語が生まれる場合も少なくありません。「あい」をひっくり返した「いあ」はないけれど、「きか」なら「気化、幾何、貴下、聞か、効か、…」になる。
加えて日本語には(半)濁音があり、(半)濁点を付けることで数はいっそう増えます。「か・き」なら、「餓鬼、鍵、嗅ぎ、飢餓、戯画、ギガ、…」という具合です。
また、字数が少ない語ほど1字の変更でつぎつぎ別の語に変わり、並べ替えればこれまた違う語が生まれてきます。たとえば「あい」を「いい、うい、えい、おい、かい、きい、…」としていけば、パングラムでルール違反の「い・い」は飛ばして、「う・い」なら動詞「言う」、名詞「有為」、形容詞「愛い」、英語の「ウィー(we)」やフランス語の「ウイ(oui)」。つづけて、「え・い」なら動詞「言え、癒え」、名詞「家、(魚類の)エイ」、感動詞「いえ、えい」、英語の「イエー(yeah)」というように。
なお、同音異義であるのは語に留まりません。たとえばさきほどの「きか」なら、「木が」や「偽か」といった文句として活かすことができます。「あい」についても、文脈に上手に組み込めば「あ、(それ)いー」が可能でしょうか。
こうして、短いかなの組み合わせ――または単字のかな――が意味や品詞の異なる語になり、のみならず句や文としても活用できるとなれば、ことばづかいや文意に融通が利いて整えやすくなるのは当然です。

1字2字で内容に変化をもたらせる、助詞や助動詞の存在も武器になります。たとえば「学校へ行き、…」では文脈が適切に通じないなら、「学校へ行くも」や「学校へ行けば」などと試してみるわけです。各助動詞が付くことによって意味が変わるのは、いうまでもないでしょう。
内容に変化はありませんが、「学校へ」の「へ」を「に」に、「から」を「ので」に、「くらい」を「ばかり」になど、助詞を同種のものに替えられることも、かなの使用に制限のあるパングラムでは助けになります。

ほかには、五段活用動詞がすぐ可能動詞に変じるのもけっこう便利です。
たとえば「読む」か「読める」かで、文脈の幅は確実に広がる。
これまでもたびたび用いてきました。

かように柔軟な語構造は、英語ではほとんど考えられません。
作成経験から感得されたことを記しているのですが、ことば遊びを通して日本語と英語の違いが浮き彫りになるだけでなく、ふだん空気のような母語の一面が照らし出されるのはちょっと面白い。
それはともかく、語をたくさん作れ、またかなのわずかな組み合わせの差異でことばづかいや文意を多様に変えることができるのなら、パングラムにおいてもきちんとした詩文が作りやすいとお感じになるのではないでしょうか。

相性バツグン

語の仕組みについて見ていくと、日本語は少ない字数で表現することに好適の言語であるといえそうです。
もっとも、五七五の俳句が世界でいちばん短い詩と称されているように、改めて指摘するまでもないことかもしれません。
古来伝統ある短歌も読んで字のごとく ‘短い歌’ ですし、近年生まれた文芸「54字の物語」を挙げてもいいでしょう。

そして、日本語の基底をなすかなの数が50弱という絶妙さ。
短歌――三十一文字(みそひともじ)――のおよそ1・5倍と、なにごとかをひと通り書き表すにあたって多すぎず少なすぎずのほどよい分量です。

以上のような特徴をもつ日本語は、まさしくパングラムということば遊びにおあつらえ向きでしょう。
じっさい、一字一句明瞭な表現-意味内容にまとめられるのはもちろんのこと、扱う話題は多岐にわたり、同じ話題でも多彩な内容で織りなすことができ、しかもちょっとした物語まで紡ぎ出せてしまうのです。
もはやいわずもがなですが、英語ではまったくあり得ません。

具体的にどういった作品があるかについては、当サイトの拙作をご覧になってみてください。始めから終わりまで無理のない日本語で、バラエティに富んだ作品を描き出せることにご納得いただけると思います。

日本語が好きな方に

日本語と同等かそれ以上にパングラムと相性のいい言語があるのかは分かりません。Wikipediaにはいろいろな言語のパングラム作品が掲載されていますが、英語以外の外国語に疎い私には、それらが当該言語において適切な内容であるかを判断できないからです。
どちらにせよ、日本語との相性のよさに疑いはないでしょう。

相性がいいとはいえ、頭脳ゲームとしての難易度も申し分ありません。
煩雑な作成過程は大いに頭を悩ませるし、しばらくの間はことばづかいがおかしかったり文意がちぐはぐだったり、とかく不自然な内容になってしまうもの。
しかし、本稿で見てきたとおり日本語は語だくさんであり、案ずるよりも産むが易しで語をひたすらにとり上げて粘り強く組み合わせていけば、しだいに形が整ってきます。
そして試行錯誤のすえ、間然するところのない詩歌や物語が姿を現したときの妙味たるや、えもいわれません。原理的に難解なゲームだけあって、達成感も十分ということです。
いかがでしょう、興味が湧いてきませんか?

作り手としてパングラムに親しむなか、母語の豊かさをことあるごとに感じてきました。
自作の数は100を超えますが、”もう作り慣れた” なんて余裕は一切なく、毎回のように苦しみ悶えています。つねに全力で臨まなければ、ちゃんと通用する日本語になりません。
でも、茶化さずごまかさず妥協せず、諦めることなく徹底的にとことん向き合うと、ことばの豊饒性が応えてくれる。

もともと母語への愛着は強かったけれど、このことば遊びのおかげでその偉力を再発見するとともに、層一層魅せられています。
同じように日本語が好きな方にはぜひとり組んで、興趣の尽きないパングラムの面白さと、そうあらしめている日本語の奥深さを堪能していただきたい。
知的興奮を味わえること請け合いです。

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