パングラムと偶然性

偶然性はパングラムを彩る要素であるとともに、難しさの要因でもあります。
偶然を巧みに採り入れることが、このゲームの成否のカギです。

偶然性の必然性

パングラムのルール「あ~ん全てのかなを過不足なく用いる」のもとでかなを組み合わせていくと、ふだんの自分の言語感覚では発想しない、できないような表現がしばしばもたらされます。
ルールによってことばの扱いが制約されているがゆえに生じる、必然的な偶然です。
必然的な偶然というのも変な言い方ですが、作り手自身も予見できない意外性は内容に豊かさを与え、パングラムの大きな魅力といえるでしょう。

しかしながら、偶然性はいいことばかりでありません。
ただたんに日本語としておかしいだけ、という不自然な表現-意味内容になってしまう場合が少なくないからです。
むしろそのほうが多いというべきでしょう。
要するに、自然な日本語を織りなすというパングラムの目標を達成するうえで、偶然性はマイナスにより強く作用しやすいということです。
だからこのことば遊びは難解なのでした。
したがって、パングラムを成功させるには偶然を野放図なままにするのではなく、上手にコントロールしながら組み込んでいくことがたいへん重要になります。

偶然性を活かす

偶然性を活かした一例として、音楽ユニット・YOASOBIを題材にした自作『伏し目がちな身起こさせ、埋もれへばらぬ』を挙げてみましょう。
以下のとおり、3つの句で構成されています。
YOASOBIのテンポユニーク
  よあそびのてんぽゆにーく
前を向けるストーリーや音色際立つ
  まえをむけるすとーりーやねいろきわだつ
伏し目がちな身起こさせ、埋もれへばらぬ
  ふしめがちなみおこさせうもれへばらぬ

さて、YOASOBIをテーマに作成するにあたり、ぜひとも表現したかったのは希望を感じさせる音楽性でした。
それは「前を向けるストーリーや音色際立つ」で表せています。
また、楽曲に対する個人的な感想を述べた「YOASOBIのテンポユニーク」もいいでしょう。
これらはおおよそ固まっており、できれば変更したくありません。
では、残りのかなでなにを描けば全体を通して自然な日本語に整うか。
試行錯誤した結果生まれたのが、最後の句「伏し目がちな身起こさせ、埋もれへばらぬ」です。

でも、タイトルにもなった文句は、当初からこのような内容にしようと考えていたわけではありません。
「前を向けるストーリーや音色際立つ」および「YOASOBIのテンポユニーク」と整合する内容を探りつつ、残りのかなとにらめっこしながら語句をさまざまに拾い出していく。その漠然として流動的な状況にあって、まるで予期していなかったことばを発見し、そこから具体的な内容が導き出され、その内容に収斂するようかなを整序し、という具合に進展しました。
つまり、使えるかなが限られた拘束的な状態だからこそ意想外の偶然が働き、元気が出る様子を表した比喩表現が産出されたということです。

経過をもう少し詳しく見てみます。
余ったかな――「伏し目がちな身起こさせ、埋もれへばらぬ」をかなに分解した17字――を五十音順に並べると、「う、お、か、こ、し、せ、ち、な、ぬ、は、ふ、へ、み、め、も、ら、れ」。
“ほぼ定まっている2句は動かしたくないので、これらだけでなんとかまとめたい。20字弱はけっこうな量だけれど、逆にいえば完結した文句を作れる可能性が高いということではないか” ――。
そんなことを考えながら着手しました。
不思議なことに、作成中とかく余りやすいかなが作品ごとにあるもので、本作で目立っていたのは「お」と「こ」。「起こせ」などと試してみるも、文脈になじみません。また、私にとっては往々にして使い勝手の悪い「せ」や「ち」や「ふ」や「め」も気がかりでした。
思索を重ねるなか、決定的だったのは「ふ・し・め・が・ち」の組み合わせがなんの前触れもなく浮かび上がってきたことです。
“「ち」「ふ」「め」を一挙に処理できるばかりか、「希望をもらうことで伏し目がちの状態から元気が出る」という内容であれば全体の文意にも目処が立つ。加えて、この内容なら「起こせ」も組み込めそうだぞ” ――。
こうなるとがぜん気分は上がり、まずは「起こせ」を「身起こさせ」とし、ほかに関連づけられそうな語句を探して「埋もれぬ」を拾い出し、最終的に残ったのが「は、へ、ら」。しばらく考えて、「へばる」を思いつきました。しかし未然形「へばら」のままでは収まりません。そこで、「埋もれぬ」の間に挿入し、「埋もれへばらぬ」とすることにより解決しました。
ちなみに、この文句だけで3~4時間費やしたと記憶します。

思いがけず生まれた、そして悪戦苦闘のすえに捻り出した文句ではあるけれど、「伏し目がちな身を起こさせる」にせよ「(現状に)埋もれてへばらない」にせよ、奇矯な表現-意味内容ではなく穏当に通用する日本語であるとお分かりいただけるはずです。「伏し目がちな身起こさせ」にかんしては、「前を向ける」の言い換えともいえるでしょうか。
また、微調整を施してでき上がった3つの文句を並べることで、YOASOBIの楽曲はテンポがユニークだ、歌詞も音も希望が感じられ、聴いていると元気になる、と無理のない文意をなしていることもご確認ください。

偶然性の活用例をご覧いただきました。
もしかりにふつうの詩文でYOASOBIをとり上げて「元気が出る」という内容を描いたとしても、平生の私から「伏し目がちな身起こさせ、埋もれへばらぬ」などという文句は出て来ません。
「あ~ん全てのかなを過不足なく用いる」不自由な条件下にあって、見出す瞬間まで考えてもみなかった「ふしめがち」の組み合わせが偶発的に現れ、そこから連関的に形作られていったわけです。
それで行き詰まればふたたび別の組み合わせを探っていくことになりますが、その場合でもきっと偶然に遭遇するでしょう。
このように、不測の局面が頻繁に生起するパングラムにおいては、順を追って論理的に思考するだけではゴールにたどり着くことができません。
併せて偶然性といかに柔軟に付き合っていくか、が作成上の肝ということです。

技量×偶然のゲーム

偶然性はパングラムに限らずゲームの多くに存在しますが、ここで麻雀と比較してみます。
麻雀はどんな牌をツモるか分からない、対戦相手がどんな牌を切るか分からない、そういった偶然性のなかで牌を整えて適切な役を作り上げるゲームです。
その過程は技量と偶然が絡み合い、ゆえに抜群の力量をそなえた雀士でも運に見放されていてはアガることができません。
パングラムも同様に、どんな語句が生まれるか分からない偶然性のなかで臨機応変にかなを組み合わせて整え、適切な日本語になるべく目指します。
優れた言語能力を有していても、語の選択には運が入り込むため、巡り合わせが悪いとやはりどこかしら不自然な詩文になってしまう。
麻雀もパングラムも、純然たる腕前のみならず偶然が欠かせぬ役割を果たすことで、ゲームとしての不可測的な面白味が増すわけです。

運がいいことを俗に「ツイている」といいます。
麻雀でツイていると、最初の配牌がよければツモ牌もよくてあっという間にアガったり、何回も連続でアガったり、ドラが6つも7つも乗ったりし、当事者であれば嬉しいのはもちろんながら合理的な説明がつきません。
パングラムでも同じことが起こり、自作では『こぞりつんざく』が代表例です。
ふだん私は紙とペンで作成するけれど、このときはパソコンの画面上でなんとなく作り始めました。すると、関係することばを拾い出していってもかながほとんど重複しません。文意も自然に形成されていく。そしてそのまま、あれよあれよと一気に完成したのです。
頭を抱え悩み苦しむいつもとは大違いで、喜ぶ以上に “え、できちゃったの?” と呆気にとられる感じでした。
こうしたことは、偶然がプラスへ大きく振れた事象といえるでしょう。

両者の共通性を挙げたものの、パングラムにおける偶然性の比率は麻雀ほどではありません。用いるかなが全部あらかじめ明らかで、選び出せる組み合わせの数もずっと多いことから、技量に重きが置かれるのは当然です。
偶然性の高さからギャンブルの対象にもなる麻雀と、ほぼ実力勝負の囲碁や将棋との間にあって、パングラムは後者寄りに位置すると考えられます。

偶然は努力の賜物

はっきりしているのは、偶然をあてにしてはいけないということ。
それでは九分九厘ヘンテコな日本語にしかなりません。
運任せにせず、知恵を尽くして懸命にとり組むことで、はじめて幸運の女神が微笑むのです。
そして、つねに妥協なく全力で向き合っているからこそ、ときに多大な僥倖にもあずかれる。
複雑難解な作成過程から目を背けず地道にコツコツ臨むことが、結局のところ運を手繰り寄せる最大のコツということになるでしょう。

悩みの種になりがちな偶然性は、上手く活かすことができれば想像を超えて働きます。
この驚きを味わえるから、パングラム作りは止められません。

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