- イスラムの地で コーヒー生まれ ヨーロッパを巡り 江戸期日本へ 湯気あおるぞ 瀬踏みもしたさ や、敵わぬね
- いすらむのちで こーひーうまれ よーろっぱをめぐり えどきにほんへ ゆげあおるぞ せぶみもしたさ やかなわぬね
コーヒーはイスラムの地で生まれ、ヨーロッパを巡り江戸期に日本へ伝わった。淹れたての湯気から漂う香りが気持ちをあおるぞ。瀬踏みもしたさ。いや、もう敵わないね。
コーヒーの歴史と魅力です。
作成について。
コーヒーが好きで、コーヒーにかんする本を読んでいると、「イスラムの地で コーヒー生まれ」のフレーズが浮かんできました。かなが重複しておらず、ならばコーヒーをテーマに作ろうと思ったのがきっかけです。
このフレーズから、コーヒーが世界に広まっていく歴史をメインに描くことになるだろうと予想していたものの、すぐあとに述べる理由から前半と後半で内容が様変わり。そのおいしさにも言及したい私の気持ちが影響したのでしょうか。
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かなパズルは、「あ~ん全てのかなを過不足なく用いる」厳しい条件にばかり目がいきがちですが、そもそも46字のかなしか使うことができません。そのため、話題がなんであれ余計な部分を削って文意の骨子を表現することに傾注する場合が多くなります。とりわけ今回は歴史をたどるのですから、無駄を徹底的に省かねばなりません。このことを強く意識した結果なのか、コーヒーが誕生して日本へ伝わるまでの経緯がかな27字で済んでしまいました。半分強と意想外に短く、あと19字も残っている。”え?どうしよう” と悩みながらことばを拾っていき、なんとか味わいを抽出した次第です。
内容について。
コーヒーの起源にかんして、当初は生の豆を煎じていただけで、色も澄んでいたし苦味もなかったそうです。煎ることでわれわれの知るコーヒーの姿になったのが13世紀の半ばごろ。イスラム教の神秘思想といわれるスーフィズムの修行者が夜の勤行で眠気覚ましとして飲用したらしい。誰がどう発想して煎ろうと考えたのか、なんらかの偶然が働いたのか、今となっては解明のしようがないけれど、とても面白いですよね。
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前半部分をもう少し補足すると、イスラム圏で生まれたコーヒーはトルコ経由でヨーロッパ各地へ伝播していき、日本に伝わったのは18世紀末、長崎の出島ということです。呼び方は「カウヒン」「カウヒイ」「カウヘイ」、漢字表記は「古闘比伊」「可否」「歌兮」などいろいろだったようですが、「可否」は “かくも黒く苦き飲み物の良し悪し如何” と受け入れる過程での戸惑いが表れているようで、いい得て妙な気がします。
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後半もいい具合に描けたのではないでしょうか。香りもそうだし、試みにちょっと口をつけるのもたまりません。まさしく「や、敵わぬね」です。
語法について。
「イスラム」はおそらく「イスラーム」のほうが適切なのでしょう。日本では現在でも「イスラム教」というふうに表記するほうが優勢なので、そちらに合わせました。
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「瀬踏み」は、なにかを行なうにあたり少し試してみること。淹れたての味わいを確認するために一口含むニュアンスです。
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「や、敵わぬね」の「や」は「いや」のことですが、「い」を発語しない「や」は辞書には載っていないでしょう。でも、日常的に「や、その件につきましては…」とか「やマァ、そういうこともあるけど」などと用いられますよね。
『ロンドンのコーヒー・ハウス』(小林章夫、PHP文庫、1994年)、『コーヒーが廻り世界史が廻る』(臼井隆一郎、中公新書、2008年)を参照しました。



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