平手友梨奈

  • 平手友梨奈 食い違う 景色を見目指す 踊るもあぶれ ほの笑む切に ソロわぬ世へゴー ヤバたまんねー
  • ひらてゆりな くいちがう けしきをみめざす おどるもあぶれ ほのえむせつに そろわぬよへごー やばたまんねー
  • 平手友梨奈は周りの子たちと違う景色を見、目指している。ゆえに一緒に歌い踊るもみんなからあぶれてしまう。わずかしか見せない笑みは心からの精一杯なのだ。いざ彼女は――周囲と揃え(合わせ)る必要のない――ソロの世界へ行く。今後どんな活躍を見せるんだろう。ヤバ、たまんねー。

平手友梨奈さんです。

世代(界)が違いすぎて、昨今のアイドルグループのことは分かりません。ときどき話題になるので彼女の存在は認知していたけれど、そもそもお顔とお名前が一致するくらいでほかのことはなにも知りませんでした。だから個人的にはプラスもマイナスもないフラットな印象です。斯界では彼女を評価する声が多いようですね。

作成しようと思い立ったきっかけは、つい先日彼女についてのとある記事をネットで読んだことから。名前「ひらてゆりな」で文字が重複していないし、未知の分野に挑戦してみるのもおもしろいかなという軽い気持ちでしたが、作る過程ではその判断を軽く後悔する羽目になりました。
ネットでいくつかの記事を読み映像を観、自分なりの平手友梨奈像がぼんやり浮かんだ状態でスタート。キーワードは名前だけで、具体的な内容もまったく考えず。
情報量が少ないしふだん無縁の分野なので、大いに苦戦しました。何回繰り返しても途中からさきへ進みません。いったんすべて白紙に戻し、気分転換をしてから改めてとり組むことに。ふたたび四苦八苦しながらも、なんとか完成。都合4~5時間かかったと思います。とりあえず疲れました。

作品について言及していくまえに略歴をかいつまんで記すと、2001年に生まれ、2015年にオーディションで合格してアイドルグループ・欅坂46の1期生となり、翌2016年発売の1stシングルからずっとセンター(メイン)を張りつづけます。しだいに抜きん出た存在感を放つようになり、グループも彼女を中心に回ることに。2018年には『響-HIBIKI-』で映画初出演と同時に初主演。翌年の第42回日本アカデミー賞で新人俳優賞を受賞しました。今年2020年の1月23日に突如脱退を表明し、現在はソロで活動しています。なお、欅坂46は改名して再始動することが決まりました。
Wikipediaによれば、愛知県のご出身で西野カナさんがお好きなんだとか。おお、共通点が2つ。

今回は行間を含めて補足説明を加えないと内容がつかみにくいと思うので、ことばづかいと内容を同時に見ていきます。

「食い違う 景色を見目指す」は訳の通りで、彼女とそのほかのメンバー多数との間では目指すところが違う、そんなことを表現しています。
それがグループ結成時からなのか自分が注目を一身に浴びるようになり出してからなのか、あるいはもっと別の理由があるからなのかは分からないけれど、同時進行的に「踊るもあぶれ」ることになりました。つまり、みんなと同じように歌ったり踊ったりしているのに彼女ばかりが目立つうち、だんだんとグループ内で浮いていく状況です。ここでのあぶれるは「仲間内からあぶれる」というように、「のけ者になる」といった意味合い。

つづいて「ほの笑む切に」について。
お読みになって、意味的に引っかかりを感じる方も多いと思います。「ほの笑む」=「わずかに笑む」と、「切に」=「ひたすら、心から」とは、ふつう結びつきにくいことば同士ですよね。
この句で表現したかったのは、苦悶・葛藤する彼女の胸の内、とでもいうようなものになるでしょうか。
初期のころは楽しかったしよく笑っていた。でも時が経ち自分がグループのなかで押しも押されぬ存在になることで、メンバーとの距離も広がって孤立していくことに。のしかかる重圧が並々でないうえに、そんなグループ内での不協和音が外部にも洩れ出している。このような状態にあって、欅坂46としての活動のなかで笑顔を見せることは、自分に対しても周りに対してもウソをついているように思えてイヤだ。微笑む程度――「ほの笑む」――に見えるかもしれないけれど、いまの自分としてはそれが心からの精一杯――「切に」――なんだ、とそういうニュアンスです。

つぎは、少し表記が変わっている「ソロわぬ世へゴー」です。
すべてひらがなにすると「そろわぬよへごー」になりますが、「そろ」は「揃(う)」と「ソロ」、「よ」は助詞「よ」と「世」、というように掛詞が2つ含まれていることをまずご承知ください。掛詞とは要するにダジャレのことですね。
さて、実状は窺い知れませんが、グループ内での競争もであろうなかひとり絶対者として君臨していたとなれば、心穏やかでないメンバーとの軋轢が否が応でも生じるのは想像に難くありません。とにもかくにも彼女はグループを脱退してソロの世界へ行く道を選びます。
そういう過程を表したのがこの句で、まずは ”周りと自分とが合わない、揃わないよ” ということで「揃わぬよ」。そこから、それならば ”周りと揃える必要のないソロの世界へ行こう” ということで、みんなとは「揃わぬ」――つまりはソロになる――「世へゴー」といった感じになります。「ソロ」をカタカナ表記にしたのはそちらのほうの意味合いを強く表現するためです。
掛詞は和歌の代表的な修辞法であり、同音のことばに意味を2つ――ときにそれ以上――重ね合わせることで、内容を豊かに複層的にします。かなパズルという厳しい制約の課されたことば遊びで掛詞を2つも用いているだなんてこじつけと思われるかもしれません。でも、いましがた述べた説明をじっくりお読みになれば、伝統的な用法にっていると納得していただけるのではないでしょうか。

最後の句「ヤバたまんねー」は、ソロになった彼女が今後どう活躍するのか、その期待をファン目線で吐露している様子です。

以上、作品の内容をご説明してきました。
難渋したものの、私としては一通り無理のない文意に落とし込めたと思っています。いかがでしょうか。
笑顔を見せないことやグループからの脱退について、表面的でありきたりな解釈だとか反対に的外れだとかお感じになっても、どうぞご寛恕ください。冒頭でも述べたようにふだんほとんど関心の向かない分野のことですし、それでなくとも芸能界というのは真実の見えにくい世界。数ある捉え方の1つと受けとっていただければと思います。また、言い訳になりますが、あ~んのかな文字を各1回しか使えずかつすべてを使い切らなければならないかなパズルにあっては、内容を整えまとめるだけでもなかなかに大変であることも併せてご理解いただければ。

終わりに、語法について2つ。
まず「ほの」は形容詞や動詞に付く接頭語で、「ちょっと、わずか」という意味を付与します。「ほの暗い」「ほのめかす」などが現在でもよく用いられますよね。
あと1つ、「ヤバたまんねー」の「ヤバ」は形容詞「ヤバい」の語幹部分「ヤバ」を発語するパターンです。「ウマ(い)」「アブナ(い)」「キツ(い)」など、若い方になら問題なく通じることばづかいでしょう。
ところで、まもなく70歳を迎える母の語感では、説明を受けても「ヤバい」が理解できないそうです。言うまでもなくもともとは「やばい」で、意味は「危ない、よくない(状況にある)」。ところが、語としては同じでも「やば」がカタカナ表記になった「ヤバい」になると、料理を口にして「ヤバい」と言い、絶景をまえに「ヤバい」と言い、音楽を聴きながら「ヤバい」と言う。理解できないのも無理からぬ気がします。共通する訳語をあてろといわれたらどうなのでしょう、「(よくも悪くも)とんでもない」といった感じでしょうか。こんな現状の日本語はやばい?それともヤバい?

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