ブリコラージュ

  • いろは歌 組み合わせ ブリコラージュ 完璧を目指す 己殺げ無に ちっとも悩まぬ日 酔え火照るね
  • いろはうた くみあわせ ぶりこらーじゅ かんぺきをめざす おのれそげむに ちっともなやまぬひ よえほてるね
  • いろは歌はあ~ん全てのかなの組み合わせ。限られたなかで工夫するブリコラージュ。難解だけれど完璧に整えることを目指す。そのためには自我をなくして無心になるのだ。少しも悩まずできた日は、快楽に酔えるし興奮して身体も火照るね。

いろは歌、すなわちかなパズルということば遊びについて、また作成時の心持ちなどを描きました。

作成動機はただただ「ブリコラージュ」を使いたいがためです。
なお、この作品を作成した時点では日本語によるパングラムを一般化した名称である「かなパズル」を命名・使用しておらず、旧来の代名詞的呼び名「いろは歌」を用いています。もし「ブリコラージュ」と「かなパズル」をキーワードにしていたら、どんな内容になっていたでしょうか。

さて、ブリコラージュとは「あり合わせのもので工夫し間に合わせる」というような意味で、フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースが提示した概念です。このような認識自体は古今東西に存在しただろうけれど、それまで学術的な概念化はされていなかったと思われます。
もう少し具体的に述べれば、なにかを作るとき手元にある材料だけでやりくりする思考です。足りないものがあってもよそから加えるのではなく、手持ちのアイテムのみでなんとかするということ。
これってかなパズルも同じですよね。与えられたあ~んのかな46(文語は48)コだけで、きちんと通用する日本語表現にまとめ上げねばならないのですから。たとえば「あ」をどこかで1回使用したらそれっきり、ほかの場所でふたたび使うことはできません。そして、それは全部のかなに当てはまるのです。ことばの一般的な性質と相容れない、このようにたいへん不便な状況でことばづかいから文意からひと通り整えるには、まさしく「あり合わせのもので工夫し間に合わせる」発想で臨むしかないでしょう。
今回かなパズルに言及するにあたり、「あ~ん全てのかなを過不足なく組み合わせる」このことば遊びの特性を示すため、ぜひとも「ブリコラージュ」を採り入れたかったのはそういうことです。

語法について。
「己殺げ無に」は「殺げ」が命令形で、「自我を無くせ、そして無になれ」ということです。
あらゆる分野で無心の境地は奥秘とされますが、かなパズル作成においても重要だと実感しています。

ところで、私は20代の半ばごろ――30歳を過ぎてブリコラージュということばを知るまえ――から自然とブリコラージュ的な感覚を養ってきました。
学力にとくべつ秀でているわけでもなければIQ的なものに優れているわけでもない私が、かなパズルには案外向いているらしい。理由は自分でもよく分からないけれど、もしかなパズルに向き不向きというものがあるとしたら、ブリコラージュの思考感覚とでもいうのでしょうか、そういう傾向のある人が向いている、そんな気がします。

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