女男織りなす絵巻物

  • 光源氏や 藤壺ら 女男織りなす 絵巻物 歌詠み率寝て 行方得ぬ色わざ あはれにぞせむ
  • ひかるげんじや ふぢつぼら めをとこおりなす ゑまきもの うたよみゐねて ゆくへえぬいろわざ あはれにぞせむ
  • 光源氏や藤壺たち、男と女が織りなす一大絵巻物語。歌を詠んだり共寝したり、行方の知れない恋愛模様をもののあわれと繰り広げることだろう。

『源氏物語』です。

日本人ならだれもが知っている古典文学の最高峰『源氏物語』は、最古の長編小説として世界的な評価も高い作品です。いっぽう現代語訳を含めて読破した人となると、その数は激減するでしょう。
かくいう私自身、これまでに読んだのは全54巻のうちのごくごく一部にすぎず、内容把握についても副読本の助けを借りて全体の概要を大まかに押さえている程度だし、複雑な人間関係もきちんと整理できていません。古典は原文で読まないと気が済まないですが、さりとてたいした読解力があるわけでもなく、そのうえ難解で知られた作品です。折に触れて手にとり、訳を参照しながらその魅力を味わっているものの、完読できる見通しはまるで立ちません。
そんな私が ”『源氏物語』のあらましを描いた” なんてのたまえるのも、かな48文字で完結することば遊びのおかげでしょう。

作成について。
始めに挙げていたキーワードは「光源氏」「紫の上」「女男」「絵巻物」「あはれ」でした。でも「紫の上」と「絵巻物」は「き、の」がかぶっています。構成上「絵巻物」のほうが大切だと考え、「紫の上」を断念。女性も1人登場させたいけれど、そんなに上手くいくはずもないか。そう思っていたら、余った文字群から「ふぢつぼ」が浮かび上がってきました。藤壺も物語に欠かせない重要人物であり、また個人的にもっとも心惹かれる女性です。ということで、これ幸いと採り入れました。

内容と語法について。
この作品は文語です。文語は表現が簡潔でことばづかいが美しい。残念ながら、文語離れは年々進んでいるようです。中学や高校での国語の授業以来目にしていないという方もいるかもしれません。時代の流れには逆らえないけれど、そう遠くない祖先たちがふつうに読み書きしていた日本語の良さを少しでも感じていただきたい。そのため、可能な限り口語にも残ることばづかいで、なおかつすっきりした分かりやすい文意になるよう心がけました。
さて、1~4句目まではほぼそのまま読み進められ、とくに説明を要しないと思います。ちなみにここでの「絵巻物」は、壮大なストーリーをもった小説やドラマのことを「一大絵巻」と称する場合の比喩表現です。じっさいに『源氏物語絵巻』も作られていますし、『源氏物語』ほどそう呼ぶにふさわしい物語もないでしょう。ただし、「絵巻物」は古語辞典にも収載されていることばですが、比喩的な用法がいつごろから使われているのかは確認できていません。
5句「歌詠み率寝て」は恋愛の具体的な様子です。かつて、貴族たちの恋愛において歌のやりとりは必須でした。『源氏物語』でもたくさん詠み交わされており、「歌詠み」はまさしくそのことです。「率寝」はナ行下二段動詞「」の連用形で、「共寝する」の意。仲良く隣り合って寝る、のでないことはみなさんお分かりでしょう。
6句「行方得ぬ色わざ」の「行方得ぬ」は口語でも通じるはずです。「行方を得ない」すなわち「どうなるか分からない」ということ。「色わざ」は「色」と「わざ」を並べたもので、「色」は「恋愛、情事」、「わざ」は「行ない、行為」。逐語訳的な「恋愛行為」だとやや優美さに欠けるので、訳では「恋愛模様」としました。
最後の7句目に関して。「あはれ」と「せ、そ、に、む」が余った状態で「あはれにぞせむ」と組み合わさって作品が完成したのですが、古文としてまったく自然なこの文句が見えたときには、予定調和ででもあるかのようなかなパズルの不可思議さに感じ入りました。なお、文末の助動詞「む」は係助詞「ぞ」を受けているので、形は同じでも終止形ではなく連体形です。学校で習った「係り結び」ですね。

この作品は自作で上位に入る出来です。古文の体裁を保ちつつ、語彙は基本的なものばかりでことばづかいに無理がありません。文の組み立てもシンプルです。内容については物語の全体像が示されており、本居宣長が『源氏物語』に底流していると説いた「もののあはれ」を表現できています。文語ではあるけれど、「率寝て」以外は現代語の感覚でおおよそご理解いただけるのではないでしょうか。
こんなふうに書くと自画自賛と思われるかもしれません。
ですが、かなパズルの眼目はいかに適切な日本語表現に整えるかにあります。「かな48(口語は46)文字を過不足なく用いる」という条件が課されたこのことば遊びにおいて、それがもっとも困難であるのは明らかですから。ということは、評価の中心もそこにあるわけです。つまり日本語としての正(成)否ということ。従って、自他のいずれが作ったものであろうと、日本語の常識に則ってその出来を客観的に判断することができる。今回のように文語であれば、古典文法や古文の典型的な文体にっていることが基準になるでしょう。
以上の認識のもと、作品の評価を下しました。

ついでながら、かなパズルでは作り手の日本語力が問われるのは言わずもがな、評価者も試されます。さきほども述べた通りかなパズルは日本語の常識に基づいて客観的に出来を判定できるので、例えばことばづかいも文意もろくに整っていない作品に一定の評価を与えたら、自身の日本語力の低さを公言するのと同じになってしまう。ましてそれが自作なら恥の上塗りでしょう。日本語が好きないち母語話者として、そういう事態は避けたい。だから評価者の立場も踏まえ、自作については他人のものより一層厳しく批判的に意味内容を点検しています。
むろんとり組んでいるのは古来難しいとされることば遊びであり、を見落としていることもあるでしょう。ぜひ一字一句にわたって容赦なく吟味なさり、不審な点があれば忌憚なくご意見ください。

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