鬼と化す

  • 罪なく殺され 鬼と化す 魂消侘びても いや許せぬぞ うち屠り 無念を晴らし 雨の夜へ消え
  • つみなくころされ おにとかす たまげわびても いやゆるせぬぞ うちほふり むねんをはらし あめのよへきえ
  • 罪なく殺され、鬼と化す。目のまえに姿を現すと仇敵は魂消て侘びるが、いや許すことなどできないぞ。うち屠って無念を晴らし、鬼は雨の夜へと消えていった。

鬼の復讐譚です。

作成について。
まったく関係のないテーマで作っていたところから路線変更し、鬼の物語が生まれました。
当初想定していなかった題材になったわけですから、展開がまるで読めません。『思わぬ知らせ』と同様に、私自身 “どうなるんだろう” と話の行方を見守りながら進めていきました。ラストシーンも、中盤辺りまでの様子から思い描いていた内容とはほぼ正反対に。でも、全体に満足の出来です。
どんな仕上がりになるかが最後まで予測できないのは、悩みの種であるとともにかなパズルの大きな魅力ですね。

表現の省略について。
作品をご覧になって、2句目から3句目にかけては場面がかなり大きく転換しているとお分かりいただけるでしょう。
ここでは、かな50字弱という短い字数で物語るうえでの「省略」がなされているとお考えください。
今作は「罪なく殺され 鬼と化す」で始まりますが、日本で生まれ育った人がこの2句を読めば、このさき描かれそうなストーリーの1つとして復讐の物語が――ほとんど意識に上らないにせよ――自ずと予期されるはずです。不条理に命を奪われた者が鬼と化し、のもとへ赴いて復讐を遂げる。それは小さいころからいろいろな媒体を通して慣れ親しんだ話型だからです。
そして、その暗黙的了解の流れに沿う形で3句「魂消侘びても」がつづいている。そうすると2句から3句の状況に関して、殺したはずの相手が鬼となって出現したことに敵がたまげ命乞いをしているのだ、と行間を補いながら理解することに無理はないでしょう。つまり言い方を換えると、説明がなくても過程が埋められるところを省略しているということです。
作品を実例に省略についてお話ししてきましたが、省略は一般常識から穏当にその部分を想像・推測できることが原則です。もしも3句目が「鬼が川に飛び込み泳いだ」という内容だとしたら、そのような行動はわれわれが抱く鬼の通念に含まれないため、2句目と――、また当然4句目以降とも――スムーズな意味関係をとり結ぶことができません。だから読み手は文意が通じないと感じるでしょう。したがって、ふつうに考えて脈絡のないシーンへ移行するのであれば、たとえばこの場合なら「敵が川辺に住んでいる」といった説明を前後に加えないと物語として不十分になります。
省略は言語表現全般においてさまざま見られることであり、あえて触れなくてもいいのかもしれません。ただ、とりわけかなパズルでは省略の度合いも割り合いも大きくなりやすいので、この機会に言及しました。
ちなみに、物語のどこをポイントとして採り上げるか――省略せず描き出すか――は作り手の好みや力量、そして何よりかなの組み合わせがもたらす偶然性によって左右されることになるでしょう。この作品でポイントになり得る場面には、主人公が鬼に変貌せんとする、怨念に燃える、敵のもとへ向かう、復讐を遂げるもやり切れぬ悲しさや虚しさに涙を流す、なども挙げられるでしょうか。
語の扱いがままならないかなパズルでは、ただでさえ筋のきちんと通らないちぐはぐで曖昧な内容になりがちです。物語に限らず、また省略のあるなしに関わらず、並べられた語句をつなぎ合わせることで滑らかな線をなすよう、文意の構成についてもつねに注意深く配慮することが大切でしょう。

語法について。
「魂消侘びても」は少し読みづらいかもしれません。「たまげる」はもと「たまぎる」で、どちらも「魂消る」と書きます。魂が消えるだなんて、字面から驚くさまがありありと伝わってくる。殺した相手が鬼となって現れた、それこそ魂消る思いがすることでしょう。ということで、作品の雰囲気も考慮して漢字表記にしました。
「うち屠り」の「うち」は動詞の頭に付く接頭語で、意味を強調します。これまでに口語文語で1回ずつ使用し、これで3回目。個人的に好きな表現ですが、闇雲に用いているわけではありません。憎んでも憎み切れない仇敵を今まさに葬り去る、そんな復讐シーンにピッタリですよね。

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