ことば遊びはフロンティア

パングラムや回文などのことば遊びは、これから発展していく文化です。

ことばとことば遊び

言語表現が大きく語法と文意からなるとして、おのおのが整ってはじめて自然な表現-意味内容と認識されます。
そうして全体の意味が穏当に伝わることが、ことばのもっとも根幹的な機能であり役割でした。
人はこの世に生を享けてから、家族との生活を中心に、(絵)本を読んでもらうこと、テレビ視聴、内省、ひとり遊び、友達との遊び、学校生活、マンガを含めた読書、さらに現代ではネットの記事や動画、…などなどを通じて、ことばの基礎的能力を養っていきます。
いい換えれば、語法が誤っていたり文意が不明瞭だったりする状態から、当該言語において妥当と認められる発話や筆記へと至る、つまり不自然さから自然さへ移行していくということです。
しかるべき年齢に達しても許容範囲を超えて不自然なままだと、病的な疑いをもたれることになるでしょう。
冒頭から小難しい話になりましたが、本論への前振りとして、人間の成長を辿ると分かりやすいことばの本質的性格について述べました。

さて、条件が与えられたなかでとり組むパングラムや回文などのことば遊びは、こうしたことばの性質を前提にし、かつそれを逆手にとったゲームといえます。
私たちはふだん事もなげにSNSへ書き込みをしているけれど、たとえば投稿に「あ~んのかな46字を過不足なく用いる」パングラムの条件が課されていたらと想像してみてください(46字以上の場合はその条件で繰り返す)。
たちどころに思いどおり書けなくなり、二言三言ならまだしも、まともな文章を記すことが極めて困難になるはずです。
誰かを悪しざまに罵ろうとしてもろくな日本語にならず、かえって笑いものになる可能性が大でしょう。
そういう意味では誹謗中傷対策として有効かもしれません。
冗談はさておき、つまりは成熟した母語話者でもそんな体たらくに陥る条件を意図的に設けているのが、ことば遊びだということです。

この条件から導かれる目標は、常識の枠内に収まる一般的な語法と文意で構成された日本語に整えること以外、考えることができません。
あえて不自然な言語環境を作り出しておいて自然な言語表現へ回帰することは、さきに述べたことばのあるべき方向性と合致し、ことばを用いた頭脳ゲームにふさわしくもあります。
また、私たちが言語に習熟する過程で経てきたことの追体験に一面で近い行為は、なかなか興味深いことではないでしょうか。

たかがゲーム、されどゲーム

特殊な条件が課されたゲームであると同時に、ことば遊びは言語表現です。
であるからには、ふつうの文章や詩歌や物語をものする場合と同じく、まずもって良識的に通用する表現-意味内容で書き出せることが第一義なのはいうまでもありません。
そして、ふつうの文章や詩歌や物語とは正反対に、その第一義の実現がなにより難しいのがことば遊びであり、したがってことば遊びにおける最優先にして最大の目標だということ。

マイナーな分野であることも手伝ってか、ことば遊びの意義を正しく理解していない人は少なくないようです。
この点にかんしては、パングラムを引き合いに拙稿「パングラムの現状」で論難しました。
ただ、歴史を振り返ってみると仕方のないところがあるかもしれません。
というのも、パングラムであれ回文であれ歴代作は多く語法や文意に不備があり、一字一句整えようと突き詰めた人がどれだけいたのか、いささか疑問に感じられるからです。
それらをとり上げたことば遊び関連の書籍にしても、こういう作品がありますこんな作品もありますと代表的な作品を概括的に紹介する程度で、日本語としての正(成)否をつぶさに検討することもない(紙幅の都合もあるでしょうが)。
けっきょく、ことば遊びというのはしょせん「ことば」の「遊び」すなわちゲームに過ぎず、いくらか不自然なのもご愛嬌といったふうであり、詩歌や物語と同列でとり組んだり論じたりするに値しないという意識が根底にあるのでしょう。
でも、ほどほどのお遊びくらいの認識で留まるなら、ことば遊びの真価に遠く及んでいないといわねばなりません。

たしかにことば遊びはたかがゲームですが、いっぽうでされどゲームです。
ゲームといってしまえばそれまでの囲碁や将棋だって、真摯に連綿ととり組まれることで各種メディアにとり上げられるほどの確固たる文化領域を形成してきました。
かつては子どもの遊びだったビデオゲームも、現在はeスポーツとして成立しています。
要するに、知性にもとづいた複雑性・操作性が伴うゲームには、大人でも真面目にとり組む価値があるということにほかなりません。
もとよりことば遊びはことばを用いるのであってみれば、本来的に知的なのは当たり前です。

たとえば高名な詩人や歌人や作家、いわばことばのプロたちにパングラムでなんということのない平凡な日本語――子どもや外国人学習者への手本になる日本語――を織りなすよう要請しても、違和感のあることばづかいになったり筋があやふやになったりして、おいそれと応えられないでしょう。
パングラムの条件下で始めから終わりまで語法と文意を無理なく両立させるには、ふつうの詩歌や物語を生み出すのとは異なる言語力が必要になります。
具体的には、あ~ん全てのかなをたいへん複雑な関係性のなかでバランスよく操作して組み合わせる力です。
そこでは1字のかなもないがしろにせず、母語話者としての知見を振り絞って緻密に配置しなければなりません。

自分が携わるパングラムを例に挙げましたが、詩歌が感性重視、物語が感性と知性半々の文芸だとすると、原理上ことば遊びは知性に傾いた文芸といえるでしょう。
なまじっか感性を発揮しようものなら、ただの意味不明な語句の羅列となり果てる。
ことば遊びには高度な言語ゲームとしての知的な奥行きがあり、ことばと妥協なく向き合うという点では詩歌や物語にまったく劣らないのです。
じっさいに試みれば、純粋にいち言語表現としてまとめ上げる難しさが凡百の詩歌や物語以上であると確認できます。
間然するところのない日本語をことば遊びで編み出すことは、文芸――文の芸――の名と見事に呼応するでしょう。
それを “たかがゲーム” と軽んじるとすれば、整えるだけの知力と技量が不足しているゆえの逃げ口上でしかありません。

ことば遊びはフロンティア

パングラムを作り始めて思うのは、ことば遊びはまだまだ未開拓の分野だということです。
なにせ、ことば遊び界でもっとも有名ないろは歌が作られたのは平安時代(!)なのですから。
かてて加えて、きちんと読み解けば日本語として瑕疵があるにもかかわらず、世間一般の常識は “いろは歌はすごい” “作った人は天才だ” などと決まり文句のような評価で思考停止しています。
ことば遊びへの関心が薄い証でしょう。
現在の状況についても芳しくありません。
パングラムにしても回文にしても、条件を満たすだけでよしとする、おかしな日本語だけれどまあいいや、そんな様子の作品がネット上で多々見受けられます。
ことば遊びの目的を理解していない場合だけでなく、目的は理解しつつも自然な表現-意味内容に整えることを半ば断念している場合もあるのでしょう。
いずれにせよ、進歩発展の余地がいくらでもあることは明らかです。

パングラムに魅せられた者の身びいきは承知のうえで、ことば遊びは現代にあって注目されていい分野だと考えます。
情報が溢れ返り、さまざまなことが目まぐるしく行き交う昨今においては、物事にじっくりとり組む機会が減りました。
そしてなんでもかでも早く・速くという状況では、行動も思考も浅薄になりがちです。
SNSで起きる諸問題はそれを如実に表しているでしょう。
そうした流れと逆行するように、ことば遊びは紙とペン――スマホ――があればどこでもできる簡便なゲームでありながら、腰を落ち着けて行きつ戻りつ矯めつ眇めつ試行錯誤しなければなりません。
はかが行かないなかで粘り強く思索を重ねることは、頭の体操になるのみならず深慮する力を育む一助になるのではないでしょうか。

名称が示しているとおり、ことば遊びはゲーム感覚でとり組めるところが長所です。
ことばでなにかを表現したいと思ったとき、いきなり詩歌や物語となると身構えてしまうかもしれません。
でも、ことば遊びならちょっと試してみるのに抵抗を感じにくいでしょう。
たとえばパングラムは短歌の1.5倍程度の分量で、テーマや形式を自由に選べ、かな50字弱あれば短い物語を描くことも可能です。
求められるのは文学的に云々ではなくとりあえずひと通りちゃんと通じる日本語であるかどうかだし、作成過程はジグソーパズルを解くようなものだから、肩肘張ることもありません。
ふつうの詩歌や物語と一味違い、ことば遊びはいい意味で気軽な、時代に即した文芸だと思います。

ことば遊びを優れた文化に

日本語を愛好していることもあり、ことば遊びについては以前からある程度知っていたけれど、作る立場になることでその奥深さに惹き付けられました。
ぜひともこの素晴らしさを広め、たくさんの人に挑戦してもらい、文化的な価値を高めていきたい。
そのためにまずできることは、ことばの扱いが不自由な条件下でごまかすことも茶化すこともなくまっとうな言語表現を形作れるのだと、自作のパングラムを提示することでご納得いただくこと、それによってことば遊びの魅力を味わい、関心を抱いていただくことです。
しかしながら、私ひとりの頑張りで叶うことではありません。
今現在の作り手たちがもっとしっかりとり組まないと、目的のよく分からない中途半端なゲームのままでしょう。
ビデオゲームに熱中している人――プロゲーマーはいわずもがな――は、クリアやハイスコアを目がけ、ものすごい集中力と真剣さで難関に真正面から向き合っているはずです。
パングラムや回文にとり組んでいる方もそのような熱意をもち、目標を正しく見定めて果敢に挑み、ことば遊びという文化の水準が向上する先導役となるよう努めてくださることを期待しています。

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