- 山芽吹く 川清冽 声鳥たち 峰には雪も 抜けるような 青空の日 シーン全てを むさぼろ
- やまめぶく かわせいれつ こえとりたち みねにはゆきも ぬけるような あおぞらのひ しーんすべてを むさぼろ
山は芽吹く。川は清冽。聴こえてくる声は鳥たち。峰にはまだ雪も残っている。抜けるような青空の日だ、これらのシーン全てをむさぼるように味わお。
『ピヨー』の改訂版です。
改作について。
『ピヨー』を作ったとき、「抜ける青空」という表現になんの違和感も抱いていませんでした。
「あ~ん全てのかなを過不足なく用いる」かなパズルでは、その条件を満たすことに意識が偏り、完成したあとに肝心の内容を吟味する作業が疎かになりがちです。
つまり、日本語として不自然な箇所があっても見過ごしてしまうことがある。
だから自作については、ことばづかいや文意に無理がないかをつねに注意深くチェックしています。
しかしながら、私のなかで「抜ける青空」はまったく問題のない成句と認識されており、確認する必要すら感じていませんでした。
そもそも「抜ける青空」が浮かんだことが、作品を作るきっかけだったのです。
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ところが先日、本を読んでいて「抜けるような青空」とあるのを目にし、にわかに気になり出しました。
そこで「抜ける青空」をネット検索してみると、表示されるのは「抜けるような青空」。
探していけば「抜ける青空」もいくつか用例はあるし、有名アーティストの歌詞にも使用されています。
でも、「抜けるような青空」が圧倒的に大多数です。
Weblio辞書の実用日本語表現辞典に「抜けるような青空」はあっても、「抜ける青空」はありません。
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どうやら、「抜ける青空」は誤用と考えたほうがよさようです。
少なくとも胸を張って正しいとはいいにくい。
よって、改作することにしました。
作成と語法について。
さきに『ピヨー』全文を掲げます。
抜ける青空 芽吹く山
ぬけるあおぞら めぶくやま
清冽な川 鳥たちの声
せいれつなかわ とりたちのこえ
峰には雪も シーンすべてを
みねにはゆきも しーんすべてを
むさぼろう ピヨー
むさぼろう ぴよー
まずは「抜ける青空」を「抜けるような青空」にしなくてはならないので、「よ」「う」「な」が要ります。
タイトルでもあった「ピヨー」から「よ」を、「むさぼろう」から「う」を、「清冽な川」から「な」をとってきて、ではそこからどう整えるのか。
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改作はこれまでもたびたびしていますが、そのさい重要なのはかなの配置換えを最低限にすること。
かなパズルは全てのかなが有機的に結び付き、絶妙なバランスをとりながら形作られています。そのため一部の変更が全体に影響を及ぼしやすく、変更が連鎖し出すとそれまでに組み立てたことばづかいなり文意なりがどんどん崩れていってしまうのです。そうなれば、内容を新たに構築し直さねばなりません。じっさいに何度か経験しているけれど、振り出しに近く戻されるとやる気が大いに削がれ、ふたたびモチベーションを上げるのもひと苦労です。
全体と部分とが緊密に作用し合っていることが、かなパズル最大の特色であり、同時に難しさの要因といえるでしょう。
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幸い、今回はことばづかいと文意の構成を少しずつ変える程度で済みました。
かなの位置をいかに調整して対処したのか、2つを比較しながらご覧になってみてください。
それにしても、なくなった「ピヨー」に代わるタイトルが「抜けるような青空」を含む文句になったのは、因縁めいていて面白いですね。
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語法について1つ、「むさぼろ」と意志の助動詞「う」を省略する形は、”これ買お” “掃除しよ” “今日はお酒やめとこ” などと日常的に用いられます。
社説や論文では避けるべきでしょうが、書きことばとしても不自然ではありません。
かりに必要なかなが動詞「むさぼる」の語幹「む、さ、ぼ」のうちのどれかだったら、「むさぼる」が使えなくなります。そうするとただでさえ余りがちな「ほ」と「む」、ひいては「ろ」も残ってしまい、全体的な見直しを余儀なくされたでしょう。
あってもなくてもいい(?)「う」だったのは、とても幸運なことでした。
「抜けるような青空」はふだんあまり使用しない言い回しであり、今回のことがなかったら私は現在でも「抜ける青空」に疑問をもっていなかったでしょう。
それどころか個人的な語感では、今もって「抜ける青空」のほうがしっくりきます。
もちろん、一般に通用しているのが「抜けるような青空」であることに異論はありません。
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以前、「かりにことばづかいがおかしかったり文意がちぐはぐだったりする作品に一定の評価を与えたら、自身の日本語力の未熟さを公言するのと同じになってしまう。ましてそれが自分の作品なら恥の上塗りでしょう」と書いた私は、『ピヨー』を自賛しました…。
今後いっそう気を付けるべく自身を戒めるため、またかなパズルにとり組む方たちが同じ轍を踏まないためにも、恥をさらしておきたいと思います。
なお、私と同じく(?)「抜ける青空」が許容範囲の語法であるとお考えの方がいらしたら、本作は『ピヨー』の別バージョンとお受け止めください。


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