大江戸開けぬ

  • 信長・秀吉 家康三人 戦国収め 大江戸開けぬ 弓杖脇に うち転ばむも 寝居られるぞ
  • のぶながひでよし いへやすみたり せんごくをさめ おほえどあけぬ ゆづゑわきに うちまろばむも ねゐられるぞ
  • 織田信長、豊臣秀吉、徳川家康、彼ら3人の活躍が中心となって戦国時代が収まり、泰平の世である江戸時代が始まった。もはや武器として使用しなくなった弓を杖にし、たとえ転んだとしても安心して寝ていられるよ。

泰平の世・江戸です。

中世後期における戦国時代から、日本が1つの国として統一され江戸時代へと結実していく過程での大立者が、織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の3人であることは間違いないですよね。
彼らの名前と、「戦国」「江戸」「弓杖」をキーワードにスタート。意外に早く完成し、おおむね満足の出来になりました。

作成について、よしできたと確認してみると、なんと「ほ」が余っている。あれこれ試行錯誤していると、ときどきこういう見逃しが起こります。
1文字の違いが大きく影響するかなパズルでは致命的なミスになることも。「ほ」もなかなかに扱いにくい文字だから相当難儀すると思ったら、ほどなく「おえど」を「おほえど」にすればいいと解決。ほ。

語法について。
「弓杖」は「ゆんづゑ」あるいは「ゆづゑ」と読み、弓を杖がわりに用いたもの。扱いに困る「ゑ」を含んだことばとして使いたいと長らく思っており、今回の文脈ならいけそうだと試みたらその通りになったのでうれしい。
後半の弓杖のは、争いがないのだからもう武器(としての弓)は必要なくなり、そのうえ転んでそのまま寝ていても敵に襲われることがないから安心だという、泰平の世の比喩です。実際の江戸時代はそこまで安全ではなかったでしょうが。
「うち転ばむも」の「うち」は、動詞の頭についてその意味を強調する接頭語。古文ではしばしば見られ、現代でもまれに目にします。個人的にこの表現が好きで、口語作品でも1度使用しました
最後の句「寝居られるぞ」を品詞分解すると、ナ行下二段動詞「寝(ぬ)」の連用形「寝(ね)」、ワ行上一段動詞「居(ゐ)る」の連用形「居(ゐ)」、可能の助動詞「らる」の未然形「られ」、完了の助動詞「り」の連体形「る」、係助詞「ぞ」となります。「居る」は動詞の連用形に付くと「(ずっと)~している」という補助動詞的な意味になり、この句を直訳的に記せば「ずっと寝ていることができるぞ」となります。

最後に、作品の背景に描かれている橋は日本橋。江戸開府の翌1604年に五街道の起点とされました。ここから全国に通じる道が整備されたことも、1つの国としてまとまるために大きな役割を果たしたことでしょう。そんな象徴的なイメージとして用いました。

*2021/01/16追記*
先日読んだ十返舎一九『東海道中膝栗毛』に、「泰平」ということばとともにつぎのような一節があったので少し引いてみましょう(引用にあたり、旧字は新字にし、読み仮名は現代かなづかいにしています)。
「遠江」とあるから場面は現在の静岡辺りのようです。

名にしおふ遠江灘浪たいらかに、街道のなみ松枝をならさず、往来の旅人、互に道を譲合、泰平をうたふ。つゞら馬の小室節ゆたかに、宿場人足町場を争はず、雲助駄賃をゆすらずして、盲人おのづから獨行し、女同士の道連、ぬけ参のまで、盗賊かどかはしのにあはず。かゝる有難き御代にこそ、東西に走り南北に遊行する、雲水のたのしみえもいはれず。

ご参考までに拙訳を。

訳)有名な遠州灘の波は穏やかで、街道の松並木がそよいで枝を鳴らすこともない。往来する旅人はたがいに道を譲り合って泰平の世を謳歌する。旅荷を負った馬子が小室節を朗々と唱え、宿場では人足(≒肉体労働者)たちが争うことなく、雲助(≒荷物運び)は料金をたからない。盲人が独り道を行っても大丈夫だし、女性だけの旅でも、抜け参り――親や主人の許可を得ず、また往来手形をもたずに伊勢参りに行くこと――の子供でも、盗賊に遭ったり誘拐されたりする心配がない。こんなありがたいにこそ、[以下略]

十返舎一九が生きたのは江戸時代後期ですが、美化している点はあるにせよ、このように描き得る空気があったことはたしかなのでしょう。

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