パングラムの効用

頭の体操ということ以外に、パングラムにとり組む利点はあるでしょうか。

まずは頭をこねくり回そう

パングラムにおいてはなにより頭の柔らかさが求められます。
「あ~ん全てのかなを過不足なく用いる」条件はシンプルながら、それを満たしたうえで自然な日本語に整える過程は複雑にして難解です。
作り始めて6年が経つ私にとっても、一字一句にわたって瑕疵のない表現-意味内容にまとめ上げることは毎回挑戦であり、頭をフル回転させるのはむろんのこと、いかに柔軟に思考・発想できるかがカギだと感じてきました。
このことば遊びにとり組むことはとりもなおさず頭の体操になり、また脳の老化防止にも役立つでしょう。
でも、パングラムはたんなる頭脳ゲーム、パズルゲームという枠に収まりません。

日本語の大海へ

作り手として実感し、強調したいのは、作成を通じて日本語に対する理解が深まることです。
言語的に厳しい条件のもと、あれやこれやとかなの組み合わせを試行錯誤する環境では、ふだん空気のごとき母語について否が応でも強く意識化、対象化せざるを得ません。
かなの布置をわずかに変えるだけで内容が流動する不可測の状況にあって、語法におかしいところはないかまた文意はちゃんと通っているかと、部分にも全体にもたえず目配せしつづけなければならないのですから、ことばと向き合う密度が濃くなるのは当然でしょう。
たとえば短い物語は未就学児にも作れますが、パングラムで作ろうとすると大人でも困難です。
ことばづかいなり筋なりに、どうしても不自然さが生じてしまう。
ことばの扱いがままならない状態でまっとうな詩文を描き出すには、したがっていち言語としての日本語に焦点を当ててとことん掘り下げていくことが欠かせません。
それが、結果的に日本語という言語への理解を深めるわけです。
内容の具体面――コンテンツ――により注力するふつうの詩歌や物語の作成と、この点は大きく異なるところでしょう。

作成にあたっては、手持ちの語彙や語法を総動員します。
五十音図とにらめっこしているとことばがさまざまに去来しますが、なかにはうろ覚えのもの、意味や用法に確信のないものがあるでしょう。
それらが候補に挙がったら、辞書やネットで調べる必要があります。
語句の意味やことばづかい、漢字の読み書きなど、最初に覚え違いをして正す機会のないまま時を過ごすと、それが血肉化してなかなか自覚することができません。
思わぬ誤解のせいで恥ずかしい目に遭った、という経験をたいていの人は1度ならずしているのではないでしょうか。
パングラムにとり組んでいると、そういう間違いや勘違いがあぶり出されることもあります。
じっさいに採用するかは別にして、語彙や語法の確認作業を繰り返すことがそれらの賦活や定着、そして正確な理解をもたらすのは納得しやすいでしょう。

日本語はパングラムで使用できることば――づかい――が豊富なので、多彩な内容で表現することが可能です。
私も、せっかくならいろんなことばを用いていきたいとつねづね考えています。
そのため自作では、同じ語句がなるべく重複しないよう心がけてきました。
むろん現実的なことではなく、そう意識するせいで作成がいっそう難渋することもしばしばです。
しかしながら、そのぶん表現のマンネリ化が避けられ、作品の質向上にもつながると感じています。
また、現代口語に不可欠なカタカナ語はいわずもがな、「ヤバい(ヤベー)」に「パネー」、「沼」といった新しいことばづかいも採り入れてきました。
ほかにも素敵な、趣きのある、面白いことばが、今に残る文語表現を含めてごまんと存在します。
泡沫」「かけがえのない」「棚ぼた」「馥郁たる」「めくるめく」などは、残念ながらパングラムで使用できません。
でも、「面映ゆい」「けざやか」「しらばっくれる」「減らず口」「凛と」…のように使えるものはいくらでもあります。
それらもぜひ活かしたい。
ことわざもたいへん興味深いけれど、「住めば都」や「焼け石に水」などはまだしも「雨降って地固まる」「そうは問屋が卸さない」といった長さになると、よほど案を練らないと難しそうです。
ともあれ、パングラムの条件下で多種多様なことばや自分が望むことばをどうやって盛り込むかに工夫を凝らすのは、日本語という大海原へ分け入っていくことにほかならないでしょう。

ところで、言語表現はたいてい複数の語句で構成されますが、その観点からすればパングラムは語句を配列するゲームという言い方ができます。
つまり、全てのかなを使い切りつつ選びとった語句群を、無理のない仕方で並べていくということです。
ふだん母語で書いたり話したりするとき、”語句をどう並べたら自然な内容になるか” と思い悩むことはめったにありません。
なにも考えずスラスラ記し発した語句の順で、最低限は意味が通じ、ことばづかいもおおむね正しい場合がほとんどでしょう。
いっぽう、母語話者としての立場をズタズタにされるのがパングラムでした。
話題に沿ってまとまりのある語句をひと通り揃えるのも容易でないうえ、それを組み合わせて明瞭な文意を形成することがまた難しい。
そうして自分でも “なんじゃこりゃ?” と苦笑いする、まともに意味をなさない詩文になってしまうわけです。
全体を通して穏当な日本語を織りなすには、語句を上手い具合に拾い出していくのと並行し、コンテクストやあらゆる表現法を駆使してそれらを巧みに配置しなければなりません。
ときに、今のままでは自然な表現-意味内容にならないと思っていたのが、語句の配列を吟味することで整うことがあります。
あるいは自然の範疇に入るにせよややぎこちない文意だったところ、語句の並びを改めることでより滑らかになることも。
このように、語句の並べ方について思索を巡らすことも、日本語を矯めつ眇めつ見つめる契機となるでしょう。

いっせきにちょうのことばあそびなんです

見方によっては、パングラムは母語話者のための日本語再トレーニングといえるかもしれません。
久しく国語力の低下が叫ばれているのは、”今どきの若い者は…” と似たようなところがあってことさら気にしていないけれど、ことばは私たちの生活に必須のツールです。
「文は人なり」ともいいますし、仕事のメールや学校のレポート、日常の会話やSNSでも、適切で豊かな内容であるに越したことはないでしょう。
パングラムはゲームだから、勉強といった堅苦しさはありません。
ゲームを楽しみながら日本語力全般の底上げが図れてミスも減るなら、誰がとり組んでも損はないはずです。

どんな言語にもそれぞれ素晴らしさがあるのは当然ですが、日本で生まれ育ったという単純な理由で日本語が好きな私は、パングラムを作り始めたことで母語の深奥さを身をもって知らされ、感動を新たにしてきました。
ことばの自由が大いに失われたなか、真摯に粘り強くかなの組み合わせを探っていくからこそ、その偉力が発現するとともにそれを体感できもする。
なおかつ自然な表現-意味内容に整えられたとなれば、ふつうの詩歌や物語を創り出すのとは違う、日本語の基底をなすあ~んのかな1つ1つと親和したような、えもいえぬ充実感に満たされるのです。

約50字というほどよい分量のかなが満遍なく組み合わされるという――ジグソーパズルに似た――原理ゆえ、日本語の秘めたる力を引き出すパングラム。
パズルゲームとして頭の体操になるばかりか、いつもは身近過ぎて感じにくい母語の豊饒性を露わにしてくれます。
母語のよさが味わえるって、純粋に心地のいいことではないでしょうか。
一石二鳥のことば遊びがもつ魅力に1人でも多くの人が気づき、とり組んでくれる日が来ることを願って止みません。
そうそう、「いっせきにちょう」もいつか使ってみたい!

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