- 秋は夕べ。空冴え渡り、トンボ身を寄せ、虫の音止まぬ。眺め、思いにふける頃。筆致優れて。
- あきはゆうべ そらさえわたり とんぼみをよせ むしのねやまぬ ながめおもいに ふけるころ ひっちすぐれて
秋は夕べがいい。空は冴え渡り、トンボはつがいで仲良く身を寄せ、心地いい虫の音は止まない。また、そんな情景を眺めて思いにふける頃。素晴らしい秋の夕暮れ時に執筆したせいだろう、この文章もわれながらペンの運びがよく優れたものになって。
秋の風情です。
四季のうち、秋に関する作品を作っていなかったのでチャレンジしました。
今回は随筆風の装いで。
清少納言『枕草子』の「春はあけぼの」に始まる有名な第1段にある、「秋は夕暮れ。…」と書き出しが似通ったので、ならば顰に倣おうというわけです。かなパズルを文章形式で作成したいとも思っていましたし。
2文目は自然の情景を、3文目はそれらを眺めながら物思いにふける様子を、最後は秋の夕べの偉力が自身にも及ぶさまを描きました。
語法と内容について。
秋をテーマにして最初に思い浮かんだのが、「秋は夕暮れ」でした。とりたてて意識していたわけではないものの、やはり『枕草子』の影響なのでしょう。ただし、組み合わせの関係で「夕暮れ」は「夕べ」になりました。
2文目の冒頭「空冴え渡り」は、秋の気候を表す定型句「冴え渡る秋空」を表現したものです。冬の気配を感じさせる、少しひんやりして澄んだ空気は気持ちがいいですね。ちなみに、『枕草子』では「風の音」と表されています。
「トンボ」は秋の代名詞。つがいと思しき赤トンボが「身を寄せ」たり離れたりを繰り返す睦まじい様子は、どなたもご覧になったことがあるでしょう。
「虫の音」は『枕草子』でもそのまま採り上げられていました。セミの暑苦しい(?)鳴き声とは打って変わって、こちらは情趣にあふれ涼を感じさせてくれます。宵にはいろいろな虫たちのハーモニーが辺り一面に響きわたり、とくにカネタタキ(鉦叩き)の控えめな “キンキンキンキン” の音が大好きで、いつまで聴いていても飽きません。
3文目の「眺め」は文字通りで、うえに挙げた情景を眺めることですが、古典の世界で「眺め」といえば「物思い」というとても大切な意味をもちます。高校の国語の授業で習ったことを覚えている方もいるでしょう。古典が好きな私は、文字群から「な・が・め」と見出したときに当然そのことを意識し、結果すぐあとへその口語訳である「思いにふける」がつづくことになりました。したがって、「眺め、思いにふける」という一連の文句は、口語と文語が掛詞を媒介としながら絡み合った表現といえるでしょう。この辺りについては、かなパズルでこのように適切で複雑な修辞がなせることの不可思議さ、そしてそれを可能にする日本語の奥深さというものを、文面を通してじっくり感じとっていただきたいです。
最後、「筆致優れて」の「筆致」は「文字や文章の書きぶり」といった意味です。愛着のあることばですが、あまり見聞きしない方もいるかもしれません。
ここの一般的な意味としては訳の通りで、秋の夕べの素晴らしさをずっと謳ってきて、それを自身でも感得しながら最後の一文を記している、という構成です。
いっぽう、「筆致」をかなパズルに当てはめれば、「ことばづかいや文意がどれだけしっかり整っているか」という意味合いにも解釈できるでしょう。
そうすると裏の意味としてつぎのようにとれます。つまり、難解な条件の課されたことば遊びでありながら、秋を代表する語句を「夕べ」「冴え渡る空」「トンボ」「虫の音」「思いにふける(=眺め)」とふんだんに盛り込め、口語と文語の変則的な掛詞を実現し、全体を通しても無理のない日本語表現にまとまった。それもまた、秋の夕暮れ時という格別の時間帯に作ったおかげなんだろうなぁ、と。
手前味噌と不快に思われたら申し訳ありませんが、裏の意味には作り手としての自負心が込められているとご理解ください。
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