ブリコラージュ

  • いろは歌 組み合わせ ブリコラージュ 完璧を目指す 己殺げ無に ちっとも悩まぬ 日酔え火照るね
  • いろはうた くみあわせ ぶりこらーじゅ かんぺきをめざす おのれそげむに ちっともなやまぬ ひよえほてるね
  • いろは歌はあ~んの組み合わせ。限られたなかで工夫するブリコラージュ。難しいけれど完璧を目指す。自我をなくして無心になるのだ。少しも悩まずできた日は、快楽に酔えるし興奮して体も火照るね。

いろは歌、すなわちかなパズルということば遊びについて、また作成時の心持ちなどを描きました。

作った動機は、ただただ「ブリコラージュ」を使いたいがためです。キーワードも「ブリコラージュ」と「いろは歌」だけで、どういう展開になるかをまったく想定せずにスタートし、結果このような内容になりました。
なお、この作品を作成したころ、あ~んのかな文字を過不足なく用い組み合わせることで有意な日本語表現を形作ることば遊びを一般化した名称である「かなパズル」をまだ命名・使用していなかったので、旧来の呼び名・いろは歌になっています。もし「ブリコラージュ」と「かなパズル」をキーワードにしていたら、どんな内容になっていたでしょうか。

ブリコラージュとは「あり合わせのもので工夫し間に合わせる」というような意味で、20代の半ばごろから生活のさまざまな場面で自然と心がけてきたことです、物質的にも精神的にも。フランスの文化人類学者レヴィ=ストロースが提示し、そういう概念があると知ったときには ”やっぱりそういう見方をする人っているんだな” とうれしく思ったものです。
かなパズルを作り始めるまえから、46(文語は48)という限られた文字の組み合わせによるこのことば遊びはブリコラージュ的だと感じていました。作り始めたのは今年からですが、そのおもしろさに目覚めたのもいましがた述べた自身の生活スタイル、価値観が関係しているのかもしれません。

さて、2句目にあるようにかなパズルというのはあ~んのかな文字を「組み合わせ」る単純な言語ゲームですが、過不足なく用いなければならないというルールのおかげで難しさは一級品です。古来、このことば遊びで自然な日本語を織りなすことはたいへん困難であると言われてきました。
そのことは、ネットに挙げられている現今の作品からも明らかです。私は日本人として平均的な日本語の運用能力・読解力を有しているはずですが、無理不自然のないことばづかい・意味内容に仕上がっているものを見つけることはほとんどできません。文法的にひどい誤りがあるものは度外視するとして、ふだん見聞きしないような違和感を覚える語句の組み合わせや意味をなさないことばの羅列が見られたり、内容がちぐはぐで筋が通っていなかったりと、人気お笑いコンビのフレーズを拝借すれば「ちょっとなに言ってるか分かんない」のです。百聞は一見に如かず、みなさんもツイッターで「#パングラム」と検索して表示される作品群をご覧になってみてください。同様の感想をおもちになるのではないでしょうか。
察するに、とり組んでいる方の多くもまっとうな日本語に整えることは半ば諦めており、とりあえずかな文字をすべて使い切れば多少おかしくてもかまわない、そういう態度で臨まれているのでしょう。かなパズルの難易度を考えたとき、そのようなとり組み方も認められていいと思います。
しかしながら、ほかの方の作品はともかくとして、自分の作るものが不自然であることにどうしても納得ができません。日本語への関心、そして日本語を大切に思う気持ちが一般の人より強いこともあるのでしょう。だからほぼ毎回のように脳ミソがスパークしそうになるくらい頭をフル回転させ、細かな措辞にまで徹底的に気を配りことばづかいを整え、内容についても曖昧なごまかしや苦し紛れのふざけに逃げることなく、話題に従いまとまりや一貫性をもった文意になるよう形作ってきました。その結果、日本語を母語とするいち日本人としての立場から、自作については公開・未公開にかかわらず大半がふつうの日本語として通用する水準に至っていると評価しています。

かなパズルにあっては、作り手がだれかに関係なく、純粋に作品だけをとり上げ、文法を含めた常識的、日常的な語法というものに則って、評価を客観的に下すことができます。というのも、評価の中心が日本語一般としての可否にあるからです。言い方を換えて1つの目安を挙げれば、日本語学習者用の教材に載せてもおおかた問題がないかどうか、ということですね(「おおかた」と断りを入れたのは、かなパズルにおいては通常の語法に沿った規範的な表現だけでなく、ネイティブならではのことばづかいが含まれる場合も当然考えられるからです。「かっけー」や「ヤバみ」、個人的にはなじめないけれど「違くて」のような)。
そうしてみると、裏を返せば評価される側=作り手はもちろん、する側=読み手の日本語能力も問われることになる。ことばづかいがデタラメで意味の判然としない作品に一定の評価を与えたら、その人自身の程度も露呈されるわけですから。自作に対するさきほどの私の評価にしても、ひょっとしたら二重に恥をさらしているのかもしれません。
かなパズルに関心をもってくださるのであれば、そういったことも踏まえながら、日本語の熟達者としての自覚のもと、厳しくかつ素直に作品を評価していただければと思います。

以下、この作品の文句と絡めながら、私自身のかなパズル作りについて少しお話しを。

作るコツと言えるのか分かりませんが、モチベーションの高さ、つまりどこまで「完璧を目指す」かが作品の出来に影響を及ぼすことは確かでしょう。
一通り無理不自然のない日本語になっていれば、それだけでかなパズル作品として十分な評価に値します。でも、私はただ ”ちゃんとした日本語になっているね、すごいね” で満足するつもりはありません。具体的な内容についても読み手に感嘆してもらえるような質の高い、1つのアートと呼ばれるような図柄を形作っていきたい。そう簡単なものではないけれど、つねにそんな姿勢で挑んでいます。

「己殺げ無に」は余った文字群からひねり出した句ですが、かなパズルを作るうえでの心境として案外言い得て妙でおもしろい。
かなパズルが進むにつれて残りの文字が少なくなっていくと、選ぶというより選ばされる状況になり、ことばづかいや内容についても自分が思うようにはいきません。だから「己」を出すのはキーワードを含めた序盤だけにしたほうがいいでしょう。あとは自我を「殺」ぎ、それまでに選択したことばと残された文字のなか、いかに整合的な日本語になるかを「無に」なってさまざまに組み合わせながら試行錯誤していく。
かなパズルというゲームの性質からして、潜在意識が大きく関与することは疑いのないところです。まずもって組み合わせの数が膨大で、とてもではないけれど顕在意識で演算し切れるものではありません。また囲碁や将棋の世界で大局観と呼ばれるような、近未来的な予測を含めて全体をバランスよく認識する意識状態が必要であり、そのためにも潜在意識の働きが欠かせないでしょう。
潜在意識というものが存在し、それが人間の高度な能力に深く影響していることは現代人の多くが認めていると思いますが、潜在意識のメカニズムが未だ科学的に明らかでないので、潜在意識が関係していると理解したところでかなパズル作りがすぐさま容易になるわけではありません。しかし、どんな分野でも極意とされる無心の境地、つまり雑念を払って余計な顕在意識の働きを抑制することは、潜在意識を賦活する1つの方法として有益であるはずです。

いつも苦難するかなパズル作りですが、ポンポン語句を思い浮かべていってもほとんど文字が重複せず、あれよあれよと組み合わさっていって図柄が完成する、ということがときどきあります。それが「ちっとも悩まぬ」で、そういう「日」はまさしく「酔え火照るね」。奇しくもこの作品がそうで、さほど苦労せず20分ほどで完成しました。気持ちがいい!

いろいろとお話ししてきて、作品のタイトルでもある「ブリコラージュ」のことが忘れられているかもしれないので改めて。
かなパズルでは、かな文字46(文語は48)コという限られたアイテムだけでなんとかして自然な日本語を編み出さなければなりません。こういう状況で必要とされるのは、やはりブリコラージュ的な発想です。
学力にとくべつ秀でているわけでもなければIQ的なものに優れているわけでもない私が、かなパズルには案外向いているらしい。理由は自分でもよく分からないけれど、もしかなパズルに向き不向きというものがあるとしたら、ブリコラージュの思考感覚とでもいうのでしょうか、そういう傾向のある人が向いている、そんな気がします。

最後に、語法について1つだけ。
「己殺げ無に」は「殺げ」が命令形で、「自我を無くせ、そして無に」ということです。

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