- 色は匂へど かりそめの 誰もつね居ぬ 浮世道 朝夕織らん わけを得で 是非なく笑まむ 過ごしやる
- いろはにほへど かりそめの たれもつねゐぬ うきよみち あさゆふおらん わけをえで ぜひなくゑまむ すごしやる
この世ははかない道のりであり、花は美しく咲くけれどかりそめのものにすぎず、われわれの誰もずっと存在することはない。でも、どうして世の中がそうなっているのか理由が分からくても、それはそれとして毎日それぞれに生活していこう。とにもかくにも笑おう。そうやって過ごしていく。
私なりのいろは歌です。
言わずもがな、いろは歌はかなパズルを代表するもっとも有名な作品で、「いろは」ということばは日本人と日本文化に深く根付いています。内容も仏教の深遠な思想を表現しており素晴らしい。
ただ、現代にあってその内容は難しいですよね。解釈も一義に定まらないところがある。古典に親しんでいる方ならお分かりでしょうが、語法の点からも難があります。
そこで、ことばづかいも内容も平明にしたいろは歌を作成しました。この世の真理だとか根源だとか、そういった難しいことが分からなくても別にいいじゃない、あまり気にせず楽しくやっていこうよ、という具合に。
初句はいろは歌に敬意を表して「色は匂へど」でスタート。いろいろと苦戦し都合3日ほどかかったけれど、ほぼ納得のいく出来になりました。
ふだん七五調に整えることを意識しないのですが、いろは歌へのオマージュということで心がけ、結果きれいにまとまったのもうれしいです。
語法について。
「浮世道」は一語のことばではなく、「浮世」と「道」をくっつけた複合語。「浮世」は「この世」のことですが、「憂き世」とも書くように悲観的な意味合いの強いことばです。だから直訳的に記せば「はかないこの世の道のり」というような感じでしょうか。
また、1・2句「色は匂へど かりそめの」と3句「誰もつね居ぬ」が、それぞれ「浮世道」を修飾する関係になっています。丁寧に書き分ければ、「色は匂へど かりそめの 浮世道」かつ「誰もつね居ぬ 浮世道」ということ。訳では、よりこなれた口語になるよう「浮世道」を文頭に提示しました。原文と訳の両方をご覧になることで、語法的にも内容的にも無理がないことをご確認ください。
「あさゆふおらん」は、まず本文の通り「朝夕織らん」で「朝に夕に織りものをする」、つまり「毎日各人なりの仕事やなんなりをして生活を送ろう」ということが基本の意味です。そして、そこに「麻木綿織らん」で「麻や木綿を織る」が掛かっている。いわゆる「掛詞」ですね。といえば聞こえはいいけれどこれは後付けで、当初は「朝夕織らん」しか頭にありませんでした。完成したあとになにげなく眺めていて、「朝は『麻』と掛かるけれど、そういえば木綿のことを古語では『ゆふ』って言うよなぁ」と気づいたもの。かなパズルという強い制約のあることば遊びで図らずも掛詞を表現できた。うれしい偶然のたまもん(!)です。
「わけを得で」は「わけを得ないで」、つまり「どうしてこの世がはかないか、その理由は分からないままに」ということ。文法面について少し記しておけば、「得で」はア行下二段動詞「得」の未然形「得」、打ち消しの接続助詞「で」、となります。
「是非なく」は現代でもほぼそのまま使われるように「是も非もなく」、つまり「いいも悪いもなくひたすらに」ということ。
後半の「朝夕織らん」と「是非なく笑まむ」は、対句みたいな響きになりました。さきの掛詞と同様に、かなパズルでここまで意図的に作ることはできないからやはり偶然ですが、これもまたうれしい。
おしまいに、じつは1つ、このままでは少し不自然だと感じる箇所があり、冒頭のほうで「ほぼ納得のいく出来」と述べたのもそのためです。
本家にも瑕疵があるからというわけではないけれど、ご指摘があるまではひっそりと。
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